日本有数のブラック企業を経てTOTになった 大竹克俊さん(41歳)

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西野
いつから保険業界に?
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大竹さん
2011年11月ですから、ちょうど7年です。
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西野
前職は?
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大竹さん
消費者金融の武富士です。
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西野
武富士! すさまじい会社にいらっしゃったんですね。
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大竹さん
はい。武富士だけで1時間や2時間話せます。しかも10年いました。
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西野
武富士ダンサーズ、忘れられません。
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大竹さん
武富士全盛期のころ入社しました。
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西野
何で武富士に?
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大竹さん
早く上に上がりたいのとお金を稼ぎたいということで単純に金融業界を選びました。早く支店長や幹部になれるという謳い文句に引かれて武富士に。
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西野
どんな業務をしていたんですか?
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大竹さん
最初のころは電話営業です。お金を借りませんかと。
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西野
電話帳を見ながら片っ端から電話するんですか?
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大竹さん
いえ、借りている既存のお客さんに「追加で借りませんか」、返し終わったお客さんに「もう1回借りませんか」と。
それを座って電話し続けるのが半分。もう半分は「遅れてますよ」の督促です。
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西野
回収にも行くんですか?
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大竹さん
自宅にも勤務先にも行きました。
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西野
面白そう。10時間でも20時間でもお話を聞きたい(笑い)。いやな目に遭ったことも?
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大竹さん
あります。よくも悪くもそれぞれの方の闇の部分を見ながら仕事をするので。
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西野
どんな闇を?
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大竹さん
お金が原因で家族がバラバラになったり、行ったら夜逃げしていたり、錯乱状態になって日本刀を振り回した人もいました。そのときは走って逃げましたけど(笑い)。
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西野
修羅場ですね。
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大竹さん
一番つらかったのは、がんの末期の方への回収でした。最期だからと医者の許可が出て何泊何日ということで一時帰宅していた相手に督促をしなければならなかったんです。
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西野
お金を返せと。
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大竹さん
はい。組織って怖いんですよね。相手の方のためにどうだこうだと言っても、自分がいくら回収しなければ帰れないという頭になってしまっているので……。
それが今の私の営業スタイルにも影響しているんですが。
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西野
武富士での10年は大竹さんに大きな影響を与えました。
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大竹さん
あのころは日本有数の金融機関でしたが、日本有数のブラック企業でもありました。顧客第一主義を謳っていましたが実際は正反対で、お客さんの人生をダメにしながら会社が大きくなっていった部分があります。
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西野
借りたお金を返さない人が悪いと言えませんか?
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大竹さん
武富士がダメになったのは、グレーゾーン金利について最高裁の判決が出たからです。グレーゾーン金利といっても当然ながら借りる人と貸す側の合意で結ばれている契約なので、グレーというのはどうかとも思うのですが。
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西野
ですよね。
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大竹さん
はい。資金需要に対して審査をして貸せると判断した上でお貸しし、返済が遅れている人には契約通りの返済を促すのはもっともなんですが、今のスルガ銀行と同じで、要するに、不正融資をしていたんですね。
本社から求められる数字を受けて、営業成績を出さなければならないので、融資をするときにそもそもズルをして貸していたのです。
返済が滞るのは当たり前の話なんです。
その上さらに半分マチ金のような取り立てをして行政処分を食らったりしているので。
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西野
『ナニワ金融道』の世界ですね。大竹さんは行政処分を受けたことがあるんですか?
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大竹さん
そこまでの取り立てはしていませんが、多少はルールを逸脱するようなことはあったかもしれません。
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西野
例えばさっきの末期がんの人ですが、寝ているところを枕を蹴飛ばすとか?
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大竹さん
いえ。そういうときはきちんと。「申し訳ございません。契約なので滞っているものをいただく必要があります」と紳士的な対応です。
もちろん末期がんの人に回収に行くという背景を考えると議論のあるところでしょうが。
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西野
どんな事例が行政処分になるんですか?
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大竹さん
ゴキブリを退治するためにシューッと煙が出るやつを家の中に投げ込んだり。
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西野
わっはっはっ!
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大竹さん
ウルフルズの「貸したカネ返せよ」という歌詞の歌(=注=『借金大王』)を大音量でお客さんの家の前でかけ続けた人もいました。いずれも私が知らない支店の話ですが。
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西野
ふっふっふっ。すさまじい。そういう激しい回収をする人と回収できない人が両側にいたと思うんですが、大竹さんはどんな営業姿勢を保ってきたんですか?
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大竹さん
引っかかったら一発退場なので、イケイケドンドンや暴力的なことをするつもりはありませんでした。ただ、そうはいっても早く支店長や幹部に駆け上がって収入を大きく取りたいという思いもあって。入社当時6000人くらいの社員がいて、幹部側に早く行きたい、業績を上げたいと思う中で、貸金業に関する法律や回収のノウハウを徹底的に勉強して、合法的なやり方を極めようと必死でした。
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西野
日本最高レベルの激しい営業環境で過ごしたというバックボーンはすごく重要です。前職が何だったか、これが保険営業にけっこう影響を及ぼしていると私は思うんです。
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大竹さん
おかげさまで無敵のメンタルを手に入れました(笑い)。
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西野
おみそれしました(笑い)。そんな大竹さんがなぜ保険業界に?
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大竹さん
武富士というあれだけ大きな組織にいて、新入社員の時から役員や幹部になることだけを考えてきて、良くも悪くも自ら進んで会社の洗脳を受けて数字を上げることに邁進してきました。しかし世の中のルールが変わり、自己資本1兆円の企業が数年で見る影もなくなり、つぶれていきました。
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西野
はかないですね。
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大竹さん
その様子を見て、組織に属することの意味のなさを痛感しましたし、それまでは「武富士の大竹」だから仕事ができていたのを「大竹」だけで仕事ができるようになろう、自立して仕事ができるようになろうと思ったんです。いろんな業種を見た中で保険営業は自分の腕ひとつでできて独立もできるというところで選びました。新卒のときは保険営業はいの一番に選択肢から消していましたが、それが10年経って現場が変わって自ら保険営業に行こう、と。
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西野
武富士で身に付けた無敵のメンタルが“武器”です。
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大竹さん
はい。学生のころはフルコミッションで自分の知り合いに保険の話をするのは無理だと思っていました。
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西野
やっぱり最初の職業は重要ですね。それがずーっとスタンダードになるんですよね。それで代理店に?
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大竹さん
属する組織によって保険営業のイメージは変わるのかもしれませんが、代理店はソニー生命出身の人が作ったので、セールスプロセスを最初から教えてもらっていました。
相手が「いらない」と言っているのを無理矢理ねじ込むものというイメージが最初あって、それはイヤだなと思っていたのですが、科学的な営業があるんだなと分かり、ロジカルに、相手の満足感とともに、楽しく売ることができました。
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西野
個人保険ですか?
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大竹さん
はい。
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西野
どれくらいの成果を?
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大竹さん
2012年1月にスタートして、1年目でちょうどMDRTくらい。
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西野
素晴らしい!
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大竹さん
武富士で得た無敵のメンタルでもって、1年目にMDRTを達成するのは自分との約束だったんです。逆算して計画を立てて黙々と、ただただMDRTになることだけを考えて。
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西野
どんなところを回ったんですか? 友人?
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大竹さん
友人よりも、友人からの紹介です。友人だとコンサルをしにくいですし、お付き合いっぽくなってしまいますから。
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西野
友人から紹介が出るのは大竹さんが友人から信頼されている証拠ですね。ずーっと大竹さんを見てきた友人が「彼なら間違いないから」と紹介してくれたのでしょう。そういう生き方をしてきたんですね。それで2年目は?
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大竹さん
2013年もいろいろやって同じくらいに。代理店は提携セミナーやリーズがあったので、アポが多少足りない場合は会社から提供がありました。それもあって苦労しませんでした。
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西野
いい環境ですね。収入はどうでしたか? MRDTになっても持ち出しがけっこうあるから、会社員時代とさほど変わらないという声を聞いたことがあります。
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大竹さん
武富士時代、最初の5年は営業店にいました。2年間は一般社員、3年間は支店長です。残り5年は本社にいました。
支店長のころが一番収入がよくて、1300から1500万くらい。しかし支店長になるとメンタルが……。
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西野
メンタルが?
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大竹さん
1時間ごとに本部から支店長に電話が来るんです。朝の8時から夜退社する10時まで1時間ごとに本部の幹部としゃべるというか怒鳴り合うというか。
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西野
怒鳴り合う?
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大竹さん
その1時間の業績に対して、業績の目標を課されて、「この時間でいくらの業績を上げる」と。電話では「どうだったんだ!」「いくらでした!」「次の1時間でいくらやるんだ!」。
これを毎日1時間ごとに繰り返すんです。
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西野
…………(絶句)。
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大竹さん
業績を出せない支店長は鬱になるか病気になって退職していくんですよね。
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西野
…………(絶句)。
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大竹さん
支店長になるのが何でそんなに早いのかというと、支店長がだいたい駄目になるからです。肉体か精神が壊れて会社を辞めていくので支店長の席が空く。
だから支店長になるのが早いと武富士に入ってから分かったんです。
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西野
すさまじい!
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大竹さん
怒鳴りながら「申し訳ございません! 何とかやります! 必ずやります!」という感じの。だから支店長はだいたい声が枯れているという。
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西野
笑っていいのか悩んでしまいますがオモロイ(笑い)。最後の5年本社にいたのは、今度は支店長に怒鳴る側になったということですか?
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大竹さん
営業ではなく、監査やコンプラ、経営のほうを回っていたので、怒鳴るほうではなく。店に行って「この法律は守りなさいよ」と。
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西野
あ! 幹部候補生ですね。優秀な人材は会社の各部署を回して経験を積ませるんですよ。武富士が今もあれば大竹さんは社長になっていたかもしれません。
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大竹さん
役員にはなることができると本気で思っていました。しかし武富士が傾き、私が退職するころは600万~700万に下がっていました。なので、MRDTになって持ち出し分を引くと、収入は横ばいのイメージです。
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西野
さらにお話をうかがいます。3年目はどうでした?
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大竹さん
普通にMDRTでしたが、個人保険の限界を感じました。
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西野
どういう意味ですか?
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大竹さん
時間です。最初の1年間は保全業務がないので、ただただ営業だけやっていたのが、保全だ何だと営業以外の用事が入ってきて時間がなくなってきて。
既契約者のところに会いに行くこともできません。
これでは武富士時代の営業スタイルと同じになってしまうんじゃないかと。
これは自分がやりたかった仕事ではないよなと。
何か違和感を感じたのが3年目です。
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西野
当時は法人保険営業をまだ?
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大竹さん
MDRTの日本大会に参加したり、メルマガを取ったりするようになって、業績の高い人は法人や単価の高いところをやっているような気がしてきて、2015年に法人保険革命を受講しました。それが五島さんとの出会いです。
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西野
受講してどうでした?
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大竹さん
「そうそうこれだよ!」と。五島さんが言う継続貢献営業を知って、「ああこれだ!」と。
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西野
大竹さんのこころに響いたのですね。
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大竹さん
契約した人が気になるけど会いに行けない、というのではなく、契約いただいた法人をずっとサポートし続け、相手のためになって、ためになった付加価値のぶんを収益としていただくわけです。
武富士のような営業スタイルでもなければ、個人保険の営業スタイルでもない。
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西野
全く新しいやり方ですよね。
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大竹さん
五島さんが体現していたこのやり方なら、仕事に対する達成感や充実感、満足感に加えて収益もついてくる。「これだ!」と思ったのです。
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西野
そこから大竹さんの業績が急上昇すれば話は早いのですが。
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大竹さん
それまで逓増定期という言葉すらよく知りませんでした。決算書は武富士の本社で見たことはあっても、それが保険とどう結びつくかさっぱり分からないし、それまで見ていた決算書は一部上場のやつですから、今仕事をさせてもらっている中小企業の決算書とは似て非なるものです。
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西野
どんな勉強を?
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大竹さん
自分が広島弁になってしまうんじゃないかというくらい五島さんの音声を1年半くらい繰り返し繰り返し聞きました。
経営者に対してアプローチする部分が特に大好きで、名刺を渡すときの自己紹介の方法を手帳の一番前に書いて毎朝それを見て、五島さんの音声を聞きながら移動していました。
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西野
名刺交換の時に「私の仕事の目的は」と言う、あれですね。
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大竹さん
そういう仕事をしたかったんです。五島さんはそれを言語化してくれました。
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西野
まさしくこれだと。
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大竹さん
武富士時代と正反対のことがしたかったのです。贖罪(しょくざい)というわけではないのですが、それが大きかったように思います。
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西野
ご家族は?
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大竹さん
子供が2人います。武富士の営業店にいたころの仕事は子供には絶対に言えません。「パパ何やってるの?」と聞かれて、「パパね、毎日怒鳴ってるんだよ」とか「お金がない人からお金を取り立ててるんだよ」とか言えないじゃないですか。
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西野
(爆笑)
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大竹さん
子供がどんな人間を尊敬するかは別として、自分が子供に見せたい背中を見せられるような仕事をしたい。自分がどれだけ社会で仕事を通して人に貢献できているか。その貢献の大きさが収益として自動的についてくると思っているので、どれだけお客さんに貢献できるかが私の全ての基準なのです。
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西野
2016年は成果を出すための準備期間だったんですね。
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大竹さん
はい。1つは五島さんに案件を持ち込みまして、1年間同行してもらえました。私は五島さんの横でリアルに学びました。
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西野
それは最高の環境ですね。
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大竹さん
車で移動するときは別の案件を相談できました。仕事の進め方や考え方などのアドバイスをもらったりして、五島さんから1年間家庭教師や個別コンサルを受けたようなもので、これは大きかったです。
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西野
濃いですね。その1年間にどんなことを学びましたか?
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大竹さん
テクニカルな部分はもちろんですが、とりわけ立ち振る舞いです。
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西野
立ち振る舞い?
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大竹さん
経営者に対して決して横柄な態度を取るわけでもなく、かといって媚びるわけでもなく、コンサルという客観的な立場のスタンスの立ち振る舞いなのです。
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西野
具体的には?
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大竹さん
厳しく問題点を指摘して、言うべきことは言い、経営者の思いをくみ取るところはくみ取って共感を示し、という立ち振る舞いや経営者との距離感です。
これを直接見ることができたのは勉強になりました。
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西野
それは現場でしか見ることができませんね。
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大竹さん
もう1つ準備したのはマーケティングです。私は税理士と組むと決めて、税理士事務所のコンサルみたいなことをずっとやっていました。
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西野
税理士事務所のコンサル?
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大竹さん
はい。いきなり私がコンサルできるわけもなく、五島さんのアドバイスを全面的にいただきました。いろいろな人から計10人くらいの税理士を紹介され、その中の1人とガッツリ組もうという話になりました。しかしその税理士事務所には問題点や障害がいっぱいあったので、2016年はそれを取り払って成長させることにかなりの時間を費やしました。
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西野
その税理士事務所に毎日通ったのですか?
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大竹さん
いえ、いろんな人を送り込んだり、成長している税理士にそのやり方を聞きに言って全部フィードバックしたりしたのです。
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西野
そこまでやれば税理士は恩を感じてくれますよね。ところで、税理士の選び方は?
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大竹さん
日本の中小企業を元気にしたいなどの私自身のビジョンを伝えてその反応を見たり、仕事に対する税理士の考え方を聞いたりして、この税理士は本気だなと感じた人と今組んでいます。
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西野
大竹さんが税理士に選ばれたのではなく、大竹さんが税理士を選んだわけですね。ところで、税理士事務所といってもその顧問先は寿司屋や八百屋などの個人事業主が多い場合と、それなりの中小企業が多い場合があります。その辺りは何か気にしていましたか?
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大竹さん
価値観が大事だと思っていたので、どんな業種が顧問先に多いかなど全く頭にありませんでした。ふたを開けてみたら顧問先に開業医と医療機関が多く、プラス美容業界に強かったというのはラッキーだったかもしれません。
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西野
大竹さんの誠実さが引き寄せたのです。
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大竹さん
税理士と組んで、顧問先の財務を順番に見ていきました。いつ決算があるから、どのタイミングで課題を抽出して、財務対策をして、というシステムをつくりました。
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西野
税理士と組む良さです。
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大竹さん
しかし、そもそも税理士からお客様をただもらおうとは思っていませんでした。税理士に対して私がお客様をつけてあげるのです。しかもいい顧問先をつけてあげて、一定額以上の税理士報酬をずっと提供しています。
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西野
税理士が大竹さんを離せない!
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大竹さん
先に少し話しましたが、五島さんに聞いたりして税理士事務所を法人化したり、マネーフォワードのクラウド会計を導入したりしましたし、そうして税理士事務所もどんどん変わっていきました。時間を自由に使える保険営業マンだからこそできることを次々にやってきたのです。税理士の先生は同業の先生に聞けないので、それを私がやったり。
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西野
税理士としてプライドがあると、ほかの先生に聞けないんですね。
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大竹さん
はい。
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西野
それで2017年は?
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大竹さん
代理店を移ったので保険募集人資格を取り直したりして空白の期間ができましたが、後半の半年でCOTとMDRTの間くらいはできました。
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西野
人が飛躍する前に静かな雌伏の期間があると言われています。大竹さんにとって、2017年の前半までの準備期間がそれだったのですね。仕事のやりがいが変わってきたのでは?
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大竹さん
全く違いますね。同じ保険営業ですけど、いわゆる保険営業をしている感覚が全くないのです。経営者のパートナーや税理士のパートナーとしてプライドを持って仕事ができますし、与えている付加価値の高さにも自信と納得感があって、それまでの武富士時代は言うまでもなく、個人保険営業時代と比べても、やりがいは全く異なりますね。
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西野
財務の勉強、すんなり頭に入りましたか?
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大竹さん
法人保険革命と戦略法人保険営業塾で出てきたことをひたすら復習して理解していく。1回聞いただけでは理解できないものや資料を読んでもよく分からないものは、何回も聞いたり読んだり、ウェブで検索して調べたり。
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西野
早起きして勉強する優績者が多いのですが、大竹さんは?
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大竹さん
けっこうお酒好きなので飲むのですが、ここで自分は変わるぞと決めた時期は、夜飲むのを控えて朝勉強して、移動時間は音声を聞いて、というふうにしていました。
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西野
早起きでした?
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大竹さん
6時ごろです。もともと朝が苦手なので、私の6時はほかの人の4時ごろに相当します(笑い)。
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西野
今年の成績は?
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大竹さん
TOTです。ただし、計算が間違っていなければ、ですが(笑い)。
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西野
狙ってましたか?
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大竹さん
福岡での1月の戦略法人保険営業塾で、「今年はどれくらいやるのか」と五島さんに聞かれて「COT」と言っちゃったんです。まだCOTになったことがなかったので。
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西野
COTを飛び越えましたね。どのようにしてTOTに?
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大竹さん
2017年後半からやっていることは変わっていません。組んでいる税理士法人の顧客の分析をしていって、課題を抽出して、こういうアクションをしたら改善できると伝えていったのです。そのときは保険契約がほしいなど一切思ったことがありません。純粋に財務コンサルをしていく中で、結果として必要な保険を淡々と契約していったら、気づいたら8月ごろCOTになってて。事務スタッフが「大竹さん、COTになってるよ」「えっ! あ、そうなの」と。
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西野
(笑い)
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大竹さん
10月にまた大きめの契約をいただいて、スタッフから「もう少しでTOTだから大竹さんTOTやっちゃえば」と言われて、「あとどれくらい?」と聞いたら本当にあと少しで。じゃあ、せっかくだからと(笑い)。
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西野
せっかくだから(笑い)。軽々と余裕で達成したんですね。すごい! 財務コンサルの費用は別途?
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大竹さん
はい。いただいています。
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西野
金額は相手の規模によって異なるんですか?
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大竹さん
5~10万円が多いですね。
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西野
控えめですね。なぜですか?
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大竹さん
そのぶん税理士の顧問報酬の上乗せをしているので。
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西野
なるほど。
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大竹さん
私が今年TOTに入ることができた理由の1つは、仕事のやり方を変えてくれる五島さんという師匠に出会えたこと。もう1つは価値観を共有できる税理士が私を信じて私が言ったことを素直に取り入れて頑張ってくれたことです
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西野
2人が大竹さんの人生をパワーアップさせたのですね。
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大竹さん
税理士がそれまでの個人事務所を税理士法人にしたので、そこの収益を最大化させるのは私のミッションの1つなのです。
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西野
収益の最大化ですか。
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大竹さん
はい。そのためには顧問先を増やし、単価を上げ、価値観の合わない顧問先を入れ替え、クオリティーの高い税理士を雇用し、などと考えています。
幸いなことに私たち保険営業マンは保険契約を結べば大きな手数料が入ってきますから、まず税理士法人に成功してもらえば、それに付随して私のマーケットも広がっていくので、税理士法人の成功は私にとって優先順位が高いのです。
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西野
余裕を感じますね。大竹さんのパートナーの税理士はどんな動きをするのですか?
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大竹さん
税理士法人に変えた理由やビジョン、考え方、これから新たに提供する価値を顧問先に話して、「つきましては顧問報酬をいくらからいくらに上げさせていただきます。別途、財務のコンサル契約はいくらになりますが、パートナーの大竹がこういうことを提供していきます」という説明をします。
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西野
コンサル費は折半?
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大竹さん
折半という考え方は基本的にしません。そもそも、良くも悪くも私も税理士もお金に執着がありません。
そういう価値観の税理士を最初に選定したのですし、私も税理士ももっと先を見ているので。
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西野
お金に執着がない――。なかなか言える言葉ではありません。ところで税理士の顧問先はどうやって増やすのですか?
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大竹さん
税理士に不満を持っている経営者は大勢います。どこかのアンケートでは7割だか8割だかが不満を持っているということでした。
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西野
高いですね。
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大竹さん
私が組んでいる税理士の場合、顧問先からの満足感は高いので、紹介依頼の仕方を伝えたりしてきました。税理士は紹介依頼の仕方を知らないのです。保険営業マンが1~2年目に習うような一般的な紹介依頼の仕方です。それから、組んでいる税理士は医療業界に強いので、それを外部に伝えるべきで、名刺やホームページなどを工夫して、ほしいマーケットにアピールします。
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西野
保険営業マンには常識でも税理士には驚きのノウハウだったりするわけですね。
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大竹さん
税理士は「できない」「分からない」と言えないようです。組んでいる税理士も「財務も銀行借入も分かってますけどね」と言っていたのですが、1年ほど経ったころ「実は全然分からなくて手探りで」と明かしました。それをお客さんに言う必要はないのです。
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西野
先生という立場はつらいです。
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大竹さん
社労士とも組んでやっていこうということになりまして、その社労士はマーケティングがとても得意なのです。そこからワンストップで労務税務財務をやるアライアンスを作っている最中です。その社労士が月に4~5件の顧問先を紹介してくるので、税理士法人内部では「人が足りない」「早く税理士を増やさないと」と焦っています。
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西野
仕組み化ですね。
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大竹さん
仕組み化できれば、毎月新しい決算書が私に流れてきて、私はひたすら分析して解決策を考えて、ということができるようになります。
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西野
財務コンサル先はどれくらいありますか?
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大竹さん
財務コンサル先は、予定を含めて10社ほど。スポットなどを含めると20社を超えています。
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西野
無理なく伸びてきたように見えます。
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大竹さん
数字だけ見るとMDRT、MDRT、MDRT、TOTですが、最初の3年間は保険営業の基礎である個人保険を突っ走って、そこから次のステップの勉強をして、マーケティングで仕組み作りをして。
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西野
うまく行かなくて、もがき苦しんだ経験はないですよね。順風満帆に見えます。
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大竹さん
五島さんにも聞かれて「特にありません」と答えたら「ないのかよ」と言われました(笑い)。
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西野
(笑い)
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大竹さん
代理店を移るときにすったもんだがあっただけで、あとは順調です。何で順調なのかというと、その前の10年間を武富士で非常に苦しい思いをしてきたからかな、と。
保険営業ではありませんが、武富士での10年間の下積みは大きかったです。
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西野
盗聴までやってしまう武富士ですもんね。
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大竹さん
ああいう企業ですので、無茶な目標を課せられます。無茶な目標だからといって「無理でした」じゃ済まない。その無茶な目標に対して、どうやって可能にするか逆算する思考回路で10年間やってきました。
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西野
あきらめないのですね。
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大竹さん

A 初年度のMDRTも周囲は「無理だ」と言って、できない理由を挙げていました。しかし、私は「早く成功したいから1年で達成します」と宣言して、逆算して行動して達成できました。達成できたからその1年の保険営業の考え方や、やり方は間違ってなかったわけです。
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西野
その考え方で法人保険営業に。
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大竹さん
「法人保険は浮き沈みがあるからベースは個人保険でやったほうがいい」と最初所属した代理店の社長に、こんこんと反対されました。
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西野
反対されたんですか。
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大竹さん
達成できたから言えるのかもしれませんが、仕組み化すれば浮き沈みはないと思っていたので。武富士の10年間で苦しい思いをしたから、無理だとか不可能だとか思わない頭になっているのかもしれません。
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西野
肝が据わってますね。
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大竹さん
武富士はつぶれちゃいましたが、根拠のない自信はあるんですよね。あれをやれたんだからこれもできるだろうという。
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西野
武富士のようなザ・ブラック企業で10年も生き残った大竹さんは、根っこに図太いものがあるのでしょうね。
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大竹さん
武富士では同期が500人いましたが、10年後には10人でした。
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西野
はぁー!(ため息) そこからして違いますね。
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大竹さん
学生時代に体育会系で鍛えられたというところまで遡ってしまいますが、小学生のときからサッカーをやっていて、少年サッカークラブの監督は周囲のチームからヤクザ監督と言われていて、今だと捕まっちゃうようなことを(笑い)。
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西野
バチバチ手が出た?
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大竹さん
手は出るし水は飲まさないし(笑い)。
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西野
どひゃー(笑い)。
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大竹さん
そのあとムチャクチャ仲良くなったのですが、小学生のころはみんな監督におびえていました。
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西野
大竹さんは逃げないんですね。
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大竹さん
負けず嫌いというのはありますね。
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西野
かなり極端な負けず嫌いでしょう。500人の同期のうち残ったわずか10人の1人なんですから。
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大竹さん
1年で半分辞めて、2年でまた半分辞めて、3年目は100人くいらいしか残っていませんでした。そういえば入社して最初の1週間静岡の山の中で研修を受けたのですが、夜中に3人が脱走しましたからね。
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西野
脱走する人は常識がある人かも(笑い)。ところで、お生まれは?
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大竹さん
福岡です。
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西野
熊本かと思いました。熊本の男かなと。
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大竹さん
九州男児です。
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西野
あ、そうか、九州男児そのものですね。ご両親も九州ですか?
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大竹さん
はい。
avatar
西野
それならもう100パーセント九州男児ですね。いや本当に痛快なお話をうかがうことができました。
保険営業の話だけではその人がなぜ成功するのか見えないので詳しくお聞きしたのですが、大竹さんのお話は私の想像を超える凄(すさ)まじいものでした。

本当にありがとうございます。

ー終わりー

(2018年12月インタビュー)